嘘ニュース
厚生省、国家医師免許の受験資格にザオリクが使用できることを追加
という嘘ニュースを思いついたが、不謹慎極まりないので書くのやめた
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厚生省、国家医師免許の受験資格にザオリクが使用できることを追加
という嘘ニュースを思いついたが、不謹慎極まりないので書くのやめた
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フェミニズムの極地にして、女性と弱者の物語であるゲド戦記四巻。
これは読者が強者と弱者どちらの側にいるかで感じ方が完全に二分されるが故に評価は賛否両論でないといけない、と思っていました
が、私の読みの浅さを思い知るハメになった。いや、クリスマス前に原文読んでただけだけど。
この作品ははっきりとこう書いています。
言葉によってのみ物語が記述されるとするなら、それは必然的に強者の視点から描かれたものにならざるをえない。つまり弱者の、被支配者の目線から世界を見ることは可能であっても、それを言葉に落とし込むことは決して出来ない、と
世の中に支配の言葉が溢れていて、それは支配されるものを求め暴虐の限りを尽くしている。さらにはそういった残酷な言葉だけしか知り得ない人が多すぎるし、それを知ることで自分は被支配層から脱却できるというプロパガンダまでもがその支配の言葉に内包されている
勿論、弱者の悲しみや何かを言葉として記述することは可能です。ただし、それは強者の言葉によってなされたものであり、読み手もまた、そう言った視点でしか読み取ることが出来なくなっている:つまり感情移入をどれだけ強くしても感情移入される側(作中人物)と感情移入する側(読者)の主従関係は覆せない。どこかの段階で圧倒的で理不尽な暴力を、暴力に反対する物語自身が肯定しない限り作品として成立し得ないという、言語構造自体が抱えるパラドックスが存在する
こういった対比構造は英語の方が分かりやすいですが、ぶっちゃけ英語そのものが男性原理に基づいていて女性のための言葉じゃないにもかかわらず女性にまで男性の言葉を強いている上にそれ以外では権力どころか会話すらままならない、とまで言ってるんじゃないかなあ、ゲド四巻。言語パラダイム…
これを解決するためにはやはり帰還の書に記述されているような解決策を使う以外は無いんだろうなあ。唐突すぎると思ったけど、テルーが最後に呼んだのは"my people"だった訳で。theyでもweでも無いことに留意するべき(初読で気付かなかった私はアホ)
それと、この作品を酷評している人間は自らアスペンのような言葉を弱者にキャストしていると気付いた方が良いかと
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メールやあるいはブログでもTwitterでもいいけど、ともかく私を含む一般大衆が文章を読む機会どころか書く機会すらどんどん増えています
ワープロソフトが高額だったりなんだりで書くことの敷居が高かった時代は終わっていて、今では誰でも気軽に作文することが出来ます。それこそ移動中に携帯弄ればいいだけ
ここで問題となるのは、メールで友達同士でやり取りされる文章は書き言葉ではなく話し言葉だって事です。きっちりとした構成があるわけではなく、ただ漠然とした内容が並んでいるもの。勿論書き言葉でメールする人も少なからずいるでしょうが、それは書くのに割と時間がかかるわけで、何故か定着してしまったメール即返の日本文化にはなじんでいない
個人同士でやり取りするメールだったら然したる問題はないでしょう。しかし、Twitterになるとどうなるでしょうか。これは誰もが閲覧できるツールです。そして、140文字で伝えたいことを表現する技術が求められています。
従って、Twitterのようなツールでは話し言葉を使ってつぶやくより他ないことになります。書き言葉で言いたいことを何でもかんでも140文字以内でってのは無理に決まっています。誤解の無いようきっちりと書いてる余裕がないので必然的に話し言葉になるということです
ここで、話し言葉を悪い言葉であるかのように書いていますが、勿論話し言葉は悪いわけではありません。日常会話の世界にまで書き言葉に近い表現を持ち込めばそれだけで誰も一言も話せなくなることは明白ですし、仮に話せたとしても無味乾燥なやりとりだけになるのは明らかでしょう。特に、個人が何を重視するのか、あるいはただの主観を並べても何の問題もないのが話し言葉であり、そのことは実は書き言葉にはない利点です
しかし、自分が使っているのが話し言葉であるにもかかわらず、書き手も読み手も書き言葉としてそれを認知している場合、歪みは大きくなります。
話し言葉は日常会話のやりとりな訳で、状況にも依りますが然したる責任が発生しないことが多いのに対して、書き言葉ではそうもいきません。何故なら書き言葉は寸分の狂いも誤解の余地無く書かれているものであり、それは論理的に読み解くことが可能であり、また、検証に耐えうるものであり、その結果、論理的に反論可能なものであるに違いないから
話し言葉はそうでもありません。これは話し言葉が書き言葉と比較して劣っているという訳ではなく、単純に「気軽なやり取り」には話し言葉が適しているという程度の話です。気軽なやりとりの感覚でやっている人に対して書き言葉の感覚を持ち込んでどうのこうのするのはそれこそ理に叶ってません
状況に応じた言葉があるにもかかわらず、言語そのものが一意的であると考え、全てを同一の枠組みで捉えようとするのが間違っているのです
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Twitterでネタで騒いだアレだけど、正答率100%のトリック自体は割と普通の線で思いついたので、書く時間さえ取れれば書くかも知れない
とりあえず私の思いついたトリックを当てろ
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Twitterでも何でも良いですが、
短い文章の中で伝えたい内容を表現するから圧縮するために頭を使ってどうのこうのと言われています
でも、どう考えても必要な分量の文章で必要な内容を表現するから、上手い文章なのであって無理矢理短くされた文章なんてただの記号に過ぎません
所謂長文はパラグラフ同士の繋がりや何かを考えないといけないので、自分で書き上げれば文脈を読み解く力も必然的に身につきますし、短文でセンテンス同士すら関連性のない文章を書くことが頭を使うトレーニングになるわけがありません。だって前後で脈絡がないんだから
短く纏まってるものは疑ってかかるか、あるいはそれだけの価値しかないと思うようにしましょう
で、タイトルに戻る
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満月が、水平線近くに出ているのが山越に見えて綺麗でした
四時頃の藍色がかった、東側の空の赤と青によるグラデーションの中に浮かぶ白い円盤と、手前に座す黒い影
写真に撮ろうと思いましたが、てめえ、月の位置が低すぎてどう頑張っても電線映るじゃないか! 風情がない!
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英語には敬語なんて存在しない
バカじゃねーのと思ってたけど、未だに中学高校の英語ではこう教えてるらしいのでやっぱりバカじゃねーのと思う
付け加えるとこれを根拠に、日本人には目上の人を敬う気持ちがあってどうのこうの日本人は素晴らしい! と騒ぎ出すのがいるけど、それこそ英語圏ってか英国がとんでもない階層社会だってのを無視して何ほざいてるんだと
言語から民族性を見いだすのは可能ですがそれとこれとは全くの別だと気付け
英語なら同じ内容を遠回しに表現したりするだけでいい(言いたい内容自体は変わらない)のに、日本語だと文章が根本から変わる上に、自分が相手より上の立場か否かでまで表現自体を変えなきゃいけないという合理的でない方向性の所為で外国人は混乱しているだけでしょう。目上なら尊敬語、逆なら謙譲語ってのは他の言語に直すと右の逆が左じゃないってくらいのパラドックスだと思う
逆に言えば、敬語があるから主語を省略しても基本的には誰が何言ってるのか分かるって訳で。私みたいに前文から主語を引き継いで、会話文の時点で別の人の発言にして、その会話から主体を引き継ぐって表現は意味が通じるだけで言語的には全く美しくない
で、話は戻りますが日本語の活用は本気で意味不明です。_edや_ingくらいしか活用の存在しない英語とは大きく異なります。ところで男性名詞や中性名詞や女性名詞のある言語だと私には活用は理解できません。これなんか完全に言語パラダイムの一種でしょうね。
どっかの作家も言ってますよ。日本語には男性でも女性でも使える三人称があって羨ましいと。
日本語の活用の凄まじいところは「過去の助動詞に未然形が存在する」の一言に尽きると個人的に思います。
学校文法だと「~の後につくから連用形」とかしか教えてませんが、未然形なんて未然何ですから「未だ起きていないが何時か起きる」というニュアンスに決まっています。現に未然形で接続するのは推量や何かです。これからそうなるであろうとかそういうこと。あるいは現在そうなっているかも知れないが、確認は出来ない/出来るとしたら先のことであるという仮定。つまり過去の助動詞の未然形は「過去の助動詞で未来のことを指し示す」という非常にややこしい表現であると言えます
ただまあ、これも妙な話でこの完璧な矛盾も言語表現としてはそう間違ってはいません。何故なら…やっぱやーめた。ここまで書けば大体分かるでしょう
ああそうそう、英語と日本語の決定的な差異は敬語や語順なんかじゃないと思うよ。語順の問題もでかいけど。私に言わせれば表音文字と表意文字を一つの言語に取り込み、さらにそれを多重階層的に使い回してるところよりでかい違いなんて無いでしょう。それこそ訳が分からないわ
というわけで、外見を美しい装飾で取り繕って綺麗に見えるアラビア語をみんなでやりましょう
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